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京都地方裁判所 昭和56年(ワ)612号 判決 1985年3月15日

原告

井上博

右訴訟代理人

鈴木辰行

被告

森永乳業株式会社

右代表者

門前貢

右訴訟代理人

中山晴久

久保恭孝

被告

右代表者法務大臣

嶋崎均

右指定代理人

田中治

山口修弘

外七名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一原告は、原告主張の各症状が被告会社製造の粉ミルクによつて生じたと主張するので、まずこの点について検討する。

<証拠>を総合すると、以下の事実が認められる。

1  昭和三〇年六月頃から、主として岡山県を中心とした西日本一帯の乳児の間に、原告主張のような症状(但し、肢体の機能不全を始めとする身体各部の神経障害を除く)の奇病が発生したこと、調査の結果、右発症の共通項として人工栄養児で、被告会社徳島工場の製造にかかる調製粉乳(粉ミルク)を飲用したものに限られていることが判明したこと、そして、同年八月二三日、岡山大学医学部において、右徳島工場の製造にかかるMF印の調整粉乳(粉ミルク)の一部から砒素が検出され、右奇病が砒素中毒症であることが判明した。

2  右徳島工場製造の調整粉乳の一部に砒素が混入した経緯は次のとおりであつた。

被告会社徳島工場では、乳児用調整粉乳の製造に際し、調整粉乳の溶解度をより向上させるための安定剤として、第二燐酸ソーダを協和産業株式会社から購入して添加使用してきたが(被告会社が調整粉乳の製造に際し、第二燐酸ソーダを乳質安定剤として使用したことは当事者間に争いがない)、昭和三〇年四月以降納入されたものが、第二燐酸ソーダとはいえない砒素化合物やヴァナジンなどを含有するものであつたので、同工場における調整粉乳製造の過程でこれに砒素が混入した(同工場に第二燐酸ソーダとして納入された薬剤中に砒素化合物を含む第二燐酸ソーダとは異なるものがあつたため、同工場製造の調整粉乳に砒素が混入したものがあつたことは原告と被告会社との間で争いがない)。

3  一方、原告は、被告会社製造の調整粉乳を、昭和三〇年六月から同年八月まで飲用した。そして、原告は、昭和三〇年八月二九日及び同年九月八日に京都大学医学部附属病院小児科に受診しているのであるが、右の機会に飲用した調整粉乳の空罐が担当の医師に示され、同医師がそれをカルテに記録しているところ、それによると、飲用の期間は右と同じであるが、六月から七月までの調整粉乳はMC印、八月のそれはML印であつた。

ところで、右MC印の調整粉乳は被告会社平塚工場で製造されたことを、ML印の調整粉乳は被告会社松本工場で製造されたことをそれぞれ表わしているが、両工場は、当時採用していた製造工程上乳質安定剤の添加を必要とせず、第二燐酸ソーダすら全く使用しておらず、人体に有害な量の砒素は混入していなかつた。

以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実によれば、甲第五号証の二四の記載中に原告がMF印の調整粉乳を飲用した旨の部分もあるけれども、なお原告が被告会社徳島工場製造の調整粉乳を飲用したことは明らかでなく、従つて、原告主張の症状が、被告会社の製造にかかる調整粉乳によつて生じた砒素中毒であるとは未だ認めるに十分でないというべきである。

二そこで、原告主張の症状が被告会社製造の調整粉乳を飲用したことによつて生じたとしても、被告らは消滅時効ないし除斥期間の経過によつて原告の損害賠償請求権は消滅したと主張するので、以下この点について検討する。

ところで、民法七二四条後段所定の二〇年の期間は、援用を必要とせず、又中断等のない除斥期間と解すべきであり、その起算点となる「不法行為ノ時」を本件に則していえば、原告が問題の調整粉乳の飲用を止めた時期とするのが相当であるところ、前記一認定のとおり、原告は昭和三〇年六月から同年八月まで、被告会社製造の調整粉乳を飲用しているのであるが、これを別の観点からみると、前掲乙第一号証、同第六号証によれば、被告国は、同年八月二四日、前記一認定の砒素が混入した被告会社徳島工場製造の調整粉乳を全面的に販売停止すべき措置をとつたこと、そして、被告会社は、その頃同工場の既製品を総て回収する措置をとつていることが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

そうすると、少くとも同年八月末日の時点において被告らの各不法行為は終了したものというべきであり、従つて、原告の被告らに対する損害賠償請求権は、右時点から二〇年を経過した昭和五〇年八月末日の経過により消滅したことになる。

ところで原告は、民法七二四条後段の不法行為とは、本件においては被告らが原告をして砒素中毒に罹患せしめた所為をさし、原告は右中毒罹患により神経組繊が犯され、神経細胞は一旦犯されると治癒することはなく、特に原告が両眼毛様体神経細胞を犯され、同神経細胞は死滅して治癒することはないこと、原告の中毒罹患による身体障害は、被告会社製造の粉ミルクを原告が飲用して以来今日に至るまで続いていて、常に新しく発生しているのであるから、被告ら主張の各時点で、被告らの不法行為に対する原告の損害賠償請求権は除斥期間の経過によつて消滅することはありえない旨主張するが、民法七二四条後段の二〇年の期間は不法行為のときから起算されるところ、不法行為自体が継続し損害もまた日々継続して新たに生じている場合には各損害の発生したときから起算すべきとはいえるにせよ、不法行為(侵害行為)の事後に単に損害が継続的に生ずる場合に右不法行為を含めて解すべき根拠はないから、原告の右主張は当裁判所の採用するところではない。

三被告らの責任

以上のとおり、原告の被告らに対する損害賠償請求権は、少くとも右除斥期間の経過によつて消滅し、被告らが原告に対し不法行為責任あるいは国家賠償責任を負うべきいわれはなく、その余の判断をするまでもなく原告の被告らに対する損害賠償請求は失当である。

四よつて、原告の本訴請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(石田眞 小山邦和 中村俊夫)

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